子どもは「いらないかも」6割でも、卵子凍結しておいてよかった(前編)

卵子凍結の経験者への詳細なインタビューを通じて、費用、身体的・精神的負担、凍結後の心境や人生の変化をリアルに伝える連載。

子どもは「いらないかも」6割でも、卵子凍結しておいてよかった(前編)

最終更新日:
2025-11-21
公開日:
2025-11-07

「卵子凍結」。言葉自体を耳にする機会が増えても、クリニックに行くのが怖かったり、どんな体験が待っているのかが想像できない人も多くいるはずです。この連載では、実際に卵子凍結をした女性からその経験を聞き、それによる気持ちやライフスタイルの変化、そしてその卵子により妊娠・出産に至ったのかどうかなどを聞きます。

vol.1に登場いただくのは、現在4歳の子どもを持つ母親である、佐藤裕子さん。前編では、がむしゃらに働いていた20代に経験したパートナーとの別れ、それから卵子凍結を決心するまでのお話を聞きました。

「いつか辞めるから」と思っていた仕事に、のめりこんで行った20代

──まずは、佐藤さんがもともとお持ちだった「子どもを持つこと」へのイメージを教えてください。例えばティーンエイジャーの頃、どんな将来を描いていましたか?

「女の子は愛嬌が大事」という考え方の母の影響もあって、いつか専業主婦になりたいなと思っていました。大学時代もそれは変わらず、就職先は『今しか働かないかもしれないから、打ち込める仕事にしよう』と選んだほどです。結婚するまではがむしゃらに働いて、結婚したら専業主婦になろうと思っていました。

──就職して、その考えは変わりましたか?

新卒でかなりスピード感のある業界の会社に入りました。さらに配属先には同期がおらず、周りはベテランの社員ばかり。仕事ができない自分が悔しくて、必死に働くうちにいつしか夢中になっていました。気づけば「いつか辞めるから」という気持ちが「一人前になって、仕事ができるようになるまで辞められない」に変わっていきました。

──その頃、最初の結婚をされていますよね。

はい、25歳の時に8歳上のパートナーと結婚しました。相手が年上だったこともあり、相手は子どもを持ちたがっていました。けれど、私も相手もまだ経済的に安定していなかったのもあって、仕事を続けていました。一緒に生活していくこと、実際の育児のことを考えるとまだ子どもを持つことを考えられませんでした。ブライダルチェックを受けていませんでしたし、生理周期をコントロールするためにピルも飲んでいましたから、偶然子どもができる可能性もほとんどありませんでした。

そのうちに、どんどん仕事が面白くなってきて......。毎日のように残業するのが当たり前、夜中に家に帰ってくる私を見て、パートナーの気持ちにも変化があったようです。

「子どもが欲しい」、最初のパートナーから切り出された突然の別れ

──パートナーの気持ちの変化というのは?

当時の私は20代後半で、仕事がどんどん楽しくなってくる時期。パートナーはその気持ちに共感するあまり、子どもを持つ具体的なアクションを切り出せずにいたようです。

ある日、「僕は子どもが欲しいし、家庭を持ちたいけれど、君にはできないよね」と離婚を切りだされてしまいました。突然のことで、呆然としました。「私が仕事を辞めたら、考え直すの?」と聞き返すと「辞めないでしょ」と。言い出したら考えを曲げないパートナーの性格と、もう信頼関係が壊れてしまったことがわかり、離婚を受け入れた瞬間でした。この時、30歳でした。

──この時「子どもを持とう」と思わなかったのはなぜなのでしょうか。

この時は、子どもを持つのが怖かったんだと思います。一人の人間を産んで育てるという大きな責任を、まだ負えないと思いました。また、その時仕事ややりたいことをあきらめて子どもを持ったら、いつか「子どもを持ったせいで(諦めた)」と言ってしまうのではないかと思ったのです。

30歳で離婚、友人から聞いた卵子凍結の話

──30歳で離婚されてから、卵子凍結をするまでにはどのくらいの間が空いたのでしょうか。

離婚してしばらくは、いわゆる独身ライフを謳歌していました。仕事もどんどんできるようになって、パートナーもできたりして。何より、何時に帰っても、飲んで帰ってもいいことが開放的で楽しくて仕方ありませんでした。

しかし、1年が経った頃から、「あれ?」と思うことが増えてきました。それまで一度付き合うと長期間関係が続いていたのが、短い期間でお別れすることが増えたのです。独身ライフを謳歌と言っても、再婚したい気持ちを持っていたので「これじゃ結婚できないんじゃ」と不安を感じ始めました。

ちょうどその頃、友人が「卵子凍結をした」という話をしてくれました。そして「35歳を過ぎると妊娠率が下がるから、今のうちにやっておいたほうがいいよ」と言っていたのです。

この時初めて、加齢により妊娠率が下がること、卵子凍結という方法があるということを知りました。それまでは「新しいパートナーが見つかったら結婚しよう」とのんびりかまえていた私に、新しい選択肢が生まれました。

──では、すぐに行動に移したのでしょうか?

それが、なんだか面倒くさくて(笑)。絶対に子どもが欲しいと思っていないのに病院に行ってしまったら、本当に卵子を凍結することになるかと思うと気持ちのハードルがありました。病院選びや知識を調べるのも面倒で、「高そうだし、大変そうだし」とついつい後回しになっていました。

子どもは「いらないかもしれない」が6割。それでも卵子凍結に踏み切った

──そんな佐藤さんが卵子凍結に踏み切ったのはなぜだったのでしょうか。

35歳の時に付き合っていたパートナーと別れたことです。別れた時に「この関係を続けて、たとえば3年後に別れたら、あなたは子どもを産むチャンスがすごく減ってしまう。だから無責任にあと数年付き合うことはできない。あなたに後悔して欲しくない」と言われたんです。

この時「私は子どもの話なんてしていないのに、なんでそんなことを言うんだろう?」という疑問と、35歳でパートナーと別れてしまった悲しさから「卵子凍結をしよう」という気持ちが湧き上がってきました。

彼が38歳、39歳になったら後悔をする前提で話をしたということは、そういう女性が多くいるのだろう。将来子どもを本当に欲しいと思った時のために、何かしなければと思ったのです。卵子凍結のことを話してくれた友人が教えてくれたことが、急に現実味を帯びてきた瞬間でした。

──この時、佐藤さんはどのくらい子どもを持ちたいと思っていたのでしょうか?

はい。「いらないかもしれないな」が6割でした。その時点でも子どもが欲しいかどうかわかりませんでしたし、将来のことを想像してみても、「絶対に子どもが欲しい!」という気持ちはありませんでした。

──卵子凍結は、さまざまな負担もある決断です。どうして「やろう」と思えたのですか?

何をしても取り戻せず、後悔する可能性のあることをお金で解決できるならば、しておこうと思いました。子どもを持ちたくなってしまったときのための保険をかけるような感覚でした。

──当時の佐藤さんのライフスタイルはどのようなものでしたか?

会社員を辞めてフリーランスとして働いていました。多忙ではあるものの、比較的時間の融通がきく方だったと思います。金銭的にも少し余裕がありました。

いよいよ卵子凍結に踏み切った佐藤さん。後編では、実際の卵子凍結の経験と、それによる気持ちの変化についてお話を聞きます。

取材・文/ 出川 光

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