「子どもなんていらない」と思っていた私が、採卵を終えて泣くまでのこと(前編)

卵子凍結を実際に経験した女性は、どんな時に、なぜ踏み切ったのでしょうか。予算のこと、パートナーのこと、気持ちの変化などについて聞きました。今回は、子どもを持つことを想像していなかった女性が、ひょんなことからその可能性を切り開き、卵子凍結を決めるまでのことを聞きました。

「子どもなんていらない」と思っていた私が、採卵を終えて泣くまでのこと(前編)

最終更新日:
2026-01-11
公開日:
2026-01-09

「卵子凍結」。言葉自体を耳にする機会が増えても、クリニックに行くのが怖かったり、どんな体験が待っているのかが想像できなかったりする人も多くいるはずです。この連載では、実際に卵子凍結をした女性からその経験を聞き、それによる気持ちやライフスタイルの変化、そしてその卵子により妊娠・出産に至ったのかどうかなどを聞きます。

vol.3に登場いただくのは、林美玲さん。中国で生まれ日本で育ち、インテリアの会社を経営しながら人生を謳歌しています。現在のところはパートナーはおらず、これから子どもを持つかどうかはまだわからない。前編では、そんな林さんが卵子凍結に踏み切った心境の変化や、ハードな仕事とのスケジュール調整、自己注射をなんとか乗り越えた採卵までの日々についてお話を聞きます。

「子どもなんていらない」と思っていた私の気持ちを変えた一言

──まずは、林さんについて教えてください。子どもを持つことに対してどんなイメージを持っていましたか?

実は、子どもは大の苦手でした。特にずっと大人が気をつけて見ていなければならない5歳くらいまでの子どもが苦手で、5分以上一緒に過ごすことができませんでした。子どもを持つ友人には「美玲は子どもが本当にだめだね」と言われることも。私も、そうなんだろうなと思っていました。

苦手なだけでなく、親になることにも人一倍高いハードルを持っていました。私は中国の一人っ子政策の中で生まれた子どもです。そのような社会では、子どもは何よりも大切な存在です。しかし、私の両親は離婚しており、母はあまり子育てに熱心ではありませんでした。自分がした寂しい思いを子どもにはさせたくないと思うと、自ずと子どもを持つことがとても難しいように感じられていました。

周りの友人は、思い悩むことなく軽やかに子どもを産んで、「子どもは何よりも可愛い。母親はそう思うものだ」と当たり前のように話します。けれど、私には「子どもを持つこと」そして「子どもを可愛がること」が特別で、簡単にはイメージできないことだったのです。

──そのような考えに変化があって、卵子凍結を検討し始めたのでしょうか?

コロナ禍が明けた35歳くらいの頃でしょうか。最後にパートナーがいたのは数年前で、コロナ禍はなんだか女性としての人生を無駄にしてしまったような感覚がありました。久しぶりに中国に帰国して、それまでの人生を振り返り、40歳までに何をするかを考え始めていました。

子どもを持つ友人と偶然遊んだ時のこと。自分がなぜか子どもと自然に時間を過ごせるようになったのを感じました。2時間くらい子どもを相手にしていても、つまらないともうるさいとも思わなかったのです。自分の中に母性のようなものが芽生えたのかもしれません。

さらに、もうひとつのきっかけが私に「子どもを持つ」というアイデアを運んできました。一度お付き合いしたことがある幼馴染の男性のお母さんと何気ない話をしていると、いきなり「孫が欲しいなあ」と言われたのです。その時、その男性とはお付き合いしていませんでしたが、私の中に「あれっ? 私もいつか、子どもを産むかも」という考えが生まれました。その幼馴染の男性は、これまでの人生で唯一「子どもを産むなら、この人との子どもがいいな」と思った人だったからです。

これをきっかけに、子どもを持つ人生もあるかもしれないと考え始めるようになりました。しかし、当時は仕事も忙しく、パートナーがいるわけではない状況。すぐに子どもが欲しいというわけでもなかったため、卵子凍結を検討し始めました。しかし、仕事がとても忙しくそれから数年は何もせずに時間が経っていました。

東京都の助成が背中を押した。卵子凍結の検討と計画

──卵子凍結のことはもともと知っていたのですか?

友人が卵子凍結をして、その後不妊治療を経て妊娠・出産に至ったという話を聞いていたので、存在は知っていました。その話を聞いた時は「そんなに子どもが欲しいんだな」と思った程度でしたが、いざ自分も子どもを持つかもしれない、と思うと遠い存在だった卵子凍結が具体的な選択肢になってきました。

──本格的に卵子凍結に一歩を踏み出したきっかけはありますか?

東京都の助成金です。たとえ自費だったとしても卵子凍結をしていたと思いますが、助成の対象年齢が39歳まで(取材当時)であることが背中を押してくれました。38歳の時に本格的に東京都の説明会に参加し、その後助成の対象になることができました。

──卵子凍結の回数や、卵子の数の目安を考えていましたか?

ほぼ100%妊娠するのであれば、40個の卵子を凍結しなければならないという話を聞き、「私にはそれは無理だな」と思いました。まだ子どもが欲しいかどうかも決め切れていないのに、そこまで自分の体に負担をかけたくないなと思いましたし、卵子凍結をした友人からは10個の凍結した卵子を使っても妊娠に至ることができなかったという話も聞いていました。

あるかどうかもわからない「子どもを持つ」可能性に対して、自分が頑張れるのは1回の採卵までと見当をつけ「この1回で勝負だ」と1回だけ採卵を行い、その卵子を凍結するプランを考えました。

※なお、子供を1人出産するために必要と考えられる卵子の数は採卵時の年齢によって異なります。

クリニック選びと忙しい仕事との調整。卵子凍結をするまで

──クリニック選びについて教えてください。

クリニックは、卵子凍結の経験を教えてくれた友人が通っていたところにしました。医師がとても良いと聞いていたからです。私は、二十代の時に一度病気をし、手術の経験があります。その時、人生初めての手術で緊張する私の手を医師が握ってくれていたおかげで辛い経験を乗り越えることができました。私にとって、良い医師とは有名な人でもなければ、検索で上位に出てくる病院に勤める人でもない。手術で緊張している私の手を握ったように、患者の立場になって治療してくれる医師に任せたかったので、そのクリニックを選びました。

──採卵までの通院や準備で印象に残っていることはありますか。

とにかく自己注射が不安でした。一度クリニックで看護師の方が一緒に注射をしてくれましたが、自分で注射をするのは怖かったです。何度か繰り返すと注射自体はうまくできるようになりましたが、何度も注射しているうちに筋肉に痛みを感じるようになり、それがまた辛かったのを覚えています。

副作用の顔のむくみも気になりました。仕事柄人に会うことが多いので、むくんだ顔で出かけなければならないのは辛かったです。そのような副作用を乗り越えるうちに「自分ってすごいなあ」と自信が積み重なっていくのを感じました。

──採卵当日のスケジュールや、仕事との調整をどのようにしたか教えてください。

出張が多い仕事をしているので、採卵そのものを出張が少ない時期を見極めて行いました。採卵日だけでなく、その前に通院や準備があるためです。また、採卵日の1週間ほど前からは、よく睡眠をとることを心がけていました。全身麻酔での採卵をすることにしたため、体調を整えておきたかったからです。

採卵の日は、丸1日仕事を休んでクリニックに向かいました。採卵のプロセスや、何個くらい採卵できそうかの目安、「妊娠の確率を高めるにはどれくらいの卵子数が必要とされるか」などの説明を受け、着替えをしていざ採卵。全身麻酔を選んだため、麻酔が効いてからの記憶はありません。

「子どもはいらない」と思っていた30代までを経て、さまざまな経験をして卵子凍結を検討し、一歩を踏み出した林さん。前編はここまでです。後編では、実際の卵子凍結の経験や、採卵の結果、それをどう受け止めたか、そして卵子凍結という経験をどのように振り返っているかについてお話を聞きます。

取材・文 / 出川 光

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