「卵子凍結」。言葉自体を耳にする機会が増えても、クリニックに行くのが怖かったり、どんな体験が待っているのかが想像できない人も多くいるはずです。この連載では、実際に卵子凍結をした女性からその経験を聞き、それによる気持ちやライフスタイルの変化、そしてその卵子により妊娠・出産に至ったのかどうかなどを聞きます。
vol.2に登場いただくのは、現在5歳の子どもを持つ母親である、大野百合子さん。東京都内で子育てと仕事を両立し、パートナーと充実した毎日を送っています。はきはきとした口調と、着実にものごとを前に進める行動力が印象的な大野さん。前編では、第一子の出産と離婚、そして卵子凍結に踏み切るまでのお話を聞きます。
4人きょうだいの末っ子で、いつも何人か子どもがいる様子を想像していた

──大野さんご自身のことについて教えてください。子どもを持つことにどんなイメージを持っていましたか?
私は4人きょうだいで育ち、いつも周りには誰かがいて一緒に遊ぶのが当たり前の環境で育ちました。そのため、子どもがいるのがどこか当たり前のように感じていましたし、自分自身の未来を想像する時にはいつも、何人か子どもがいる様子を描いていました。
──そのような考えは、仕事選びや働き方にも影響しましたか?
新卒で就職した時には、いつか子どもを持つことを前提に、「子育てが始まって仕事量に制限がかかってしまっても、その会社に必要とされる人になれるよう、早く経験を積みたい」と思っていました。仕事も、子どもも、私にとっては手に入れるべきものだと思っていたし、両方ちゃんとやりたいという気持ちが強かったです。
──実際に働き始めてからは、どのような働き方をしていたのでしょうか?
とにかくハードに働いていました。今では考えられないかもしれませんが、会社に泊まり込みで仕事をすることも珍しくありませんでした。入社してから第一子を妊娠するまで、全力で仕事をする日々が続きました。
人工授精により第一子を妊娠。妊娠と年齢の関係を改めて自覚するきっかけに
──結婚されたのは、何歳の時ですか?
29歳の時に結婚しました。長く付き合っていたパートナーだったので、結婚しても生活に大きな変化はなく、子どもを持つことを意識したのはそれから2年ほど経った32歳の時でした。年齢を重ねると妊娠しづらくなっていってしまうことも知っていたので、そろそろ妊活をしなければと考えたのです。
第一子は、人工授精のおかげで授かりました。この時、不妊治療をするにあたって、年齢とともに妊娠しやすさがどのように下がっていくかや、不妊治療の仕組みなどを医師に説明してもらったおかげで「あと数年したら、もっと妊娠するのが難しくなるのだろうな」と自覚するきっかけにもなりました。一方で、不妊治療にあたり行った検査により、子宮の状態も卵子の数も全て年齢の平均値とほぼ同じだということがわかりました。
離婚という大きな決断と、子育てに仕事に大忙しの日々
──その後離婚という大きな決断をされています。大野さんのお気持ちにどのような変化がありましたか?
実は、第一子を出産して1年も経たないうちに結婚を継続できない状況になってしまいました。離婚することを心に決めてからは、無事に離婚すること、一人で子育てできる仕事の基盤をつくることに精一杯になりました。離婚後は、仕事の忙しさも相まって、この時は本当に辛かったです。もちろん、その後決断する卵子凍結をする余裕なんてありませんでした。卵子凍結をするためにクリニックに通う時間を捻出することも、それを考えることもできなかったのです。
──家族や友人、外部サービスに頼ることもありましたか?
実家は近くにあるものの両親ともに高齢で、子育てを手伝ってもらうのは現実的ではありませんでした。また、友人も応援したり相談に乗ったりはしてくれましたが、子どもを預かってもらうなどの具体的な手伝いを頼むことはありませんでした。きっとお願いしたら応えてくれたと思いますが、それならばお金を払って解決したいなと思っていたのです。
助成金の締切に背中を押され「今しかない」と卵子凍結を決断

──卵子凍結のことを考える余裕が出てきたのは、いつ頃のことなのでしょうか?
第一子が順調に育ってくれて、5歳くらいになると、保育園にも心配なく預けられるようになり、仕事と子育てのこと以外を考える余裕が生まれました。この時私は38歳。東京都の卵子凍結の助成金が39歳までに開始することが条件だったので「今しかない」と卵子凍結を決断しました。採卵は、一度でいくつ取れるかわからないので、長期戦になることも考えると、そろそろ締め切りが迫っていると考えたのです。
助成金を使って卵子凍結をするのに必要なセミナーに参加し、クリニックを選んで助成の対象となるのを待ちました。無事助成の資格が得られた時、38歳でした。
──クリニック選びはどのように行いましたか?
第一子の不妊治療を行ったクリニックには、良い点と悪い点がありました。良い点は、ロジカルな治療方針を立ててくれたこと。悪い点は、待ち時間がとても長かったこと。子育てをしながら採卵などを行うことを考えると、待ち時間が長いのは致命的でした。そこで、前のクリニックのようにロジカルかつ効率的な治療方針を立ててくれて、かつ待ち時間の短いクリニックを探しました。幸い、知人づてで働く女性にしっかりと寄り添ってくれると評判の良いクリニックに巡り合い、そこで卵子凍結を行うことにしました。
採卵までのスケジュール調整と、不安だった自己注射
──不妊治療を行うにあたり、気をつけたことや心配だったことはありましたか?
心配だったのは、以前検査をした時から自分の身体が変わってしまったのではないかということです。以前は年齢の平均値に近い数値だったけれど、今はどうなっているのだろうと不安でした。しかし、検査をしてみるとこの心配をする必要はなくなりました。
もうひとつ、気になっていたのが採卵のための自己注射です。これまで自分に針を刺した経験などなく、そんなことが自分にできるのだろうか? と不安に思っていました。クリニックでその心配を話し、練習用のセットを使ってやり方を教えてもらいました。注射は、やってみれば簡単で、「こんなものか」と拍子抜け。2回目の注射からは、看護師の方に「プロ級ですね!」と褒めてもらえるくらい素早く注射できるようになりました。
──採卵までの通院のスケジュールはどのように調整したのでしょうか?
全ての通院を、子どもが保育園に行っている間に終わらせられるようにスケジュールを組みました。仕事は、半休などを使いながらうまく調整を行いました。それでも検査や注射の指導のために通院したものの、ミーティングの時間が迫ってしまった時には、クリニックが柔軟に対応してくれました。「この1時間の間に、今日やらなければならないことを全てやりたい」とお願いした時もそれに合わせてスケジュールを組んでくれて、本当に心強かったです。採卵の日が迫ってくると、「痛かった」という友人の経験談から緊張を感じるようになりました。
離婚という大きな決断とその後の子育てを乗り越え、やっと卵子凍結に向き合う余裕が出てきた大野さん。持ち前の推進力で、着々と卵子凍結に必要な準備や検査を進めていった様子が前編のお話で明らかになりました。後編では、実際の採卵と、それについて考えていることについて、お話を聞きます。
取材・文:出川 光





