不妊治療をはじめる時、ほとんどがその“初心者”です。パートナーと二人で、あるいはたった一人でこの難しいはじめての経験に向き合っていると、クリニックでの治療でもなく、友達からの励ましでもなく「私の場合はこうだった」「前にこれを知っていることができたら」という経験者のリアルなアドバイスが欲しい瞬間があるはずです。名前は仮名、顔も明かさないからこそ話せる、一足先に不妊治療をした方からのタイムカプセルのような経験談。全てが当てはまらなくても、不妊治療をはじめる前、あるいは真っ只中のひとつのガイドに役立ててください。
vol.2でご登場いただくのは、40歳から42歳まで不妊治療を行い、男の子を出産したAさん。前編では、「なんとなく」家に近いから選んだクリニックから、不妊治療専門クリニックへの変更したこと、パートナーのサポートや仕事を辞めたことで治療に専念できたこと、予算を300万円と大まかに決めて治療にのぞんだことなどをお話いただきました。後半では、本格的な不妊治療を開始してから出産にいたるまでのお話を聞かせていただきます。
※本記事には、流産に関する記述が含まれます。
口コミと自分の感じ方は違う。私の場合、採卵は激痛だった
採卵日当日は、パートナーの方に採取してもらった精液を持ち、坐薬で鎮痛剤を入れて来院。手術着に着替え、採卵を行いました。
「採卵は、麻酔なしを選べる上、『卵管造影検査よりも痛くない』という声がネット上に多かったので、正直なところ油断していました。痛みに弱いので局所麻酔をお願いしましたが、それでも今まで生きてきた中で一番痛かったです。例えるならば、指の爪の間に針を刺されているような痛み。泣きそうな気持ちで採卵を終えました。
採卵の結果は、12個の卵子が取れたとのこと。40歳にしては良い結果だったようで、壮絶な痛みも少し報われました。さっそく顕微授精を行うそうです。採卵後はごほうびご飯をして、ゆっくりと帰宅しました。あまりの痛みに、次は絶対に静脈麻酔を希望しようと決意したはじめての採卵でした」
翌日は、パートナーの方とともに受精結果を聞きにクリニックへ。
「『受精卵がひとつもできなかったらどうしよう』と緊張しながらクリニックに向かいました。前日の痛みはまだ続いていて、歩くたびにズキズキと下腹部が痛み、張っている感じもしました。緊張して受け取った検査の結果は良いものでした。12個採卵した卵子のうち、5個が受精に使える成熟卵子で、顕微授精の結果5つ全てが受精したとのこと。次の生理の後に移植を行うことになりました」
★「痛くない」と言われている治療でも痛いことがある。私の場合は、採卵が激痛だったので静脈麻酔を希望しておけばよかった。
★採卵の痛みは私の場合は翌日まで続いた。
胚盤胞の数値がよければ着床できるわけじゃない。着床に至るまでの難しさ

5つの受精卵は、胚盤胞になるまで培養が行われます。
「この受精卵が胚盤胞に育って移植をしたら、そこからは私の身体が重要だと考えて食事にさらに気をつけはじめました。重要な栄養素の含まれた食材をふんだんにとって、ストレスをかけず、なるべく自分を甘やかす時間を大切にしていました」
培養期間を経てクリニックで、受精卵のうち、胚盤胞になった数を聞いてみると、その数5個中4個という良い結果。Aさんのクリニックでは40歳では25%と言われた確率を大きく上回りました。さらに、胚盤胞(を評価するガードナー分類)は、「4BA」が2個、「4BB」が2個*というこちらも良い結果です。
「グレードの良い4個の胚盤胞を凍結できることになり、『これなら着床するでしょ』と期待が高まりました」
また、その経過を培養器についたカメラでタイムラプス撮影する胚盤胞タイムラプスをAさんはオプションでつけました。これにより、細胞分裂のスピードや状態がわかるため、より状態の良い胚盤胞を選べるというものです。この動画は、Aさんにも渡されました。
「受精卵の中には途中で分裂を止めてしまうものや、どんどん細胞分裂していくものがあり、それを見ているとなんだか生命の神秘を感じてしまいました。自分のものとして愛着が湧くというよりも『生命って面白いなあ』という感じ。
4つの胚盤胞を凍結し、移植を待つことになりました。
*ガードナー分類では、胚盤胞の発育の進み具合と細胞の質を数字とアルファベットで評価する方法。数字は胚盤胞の発達状態、1つ目のアルファベットは赤ちゃんになる部分の質、2つ目のアルファベットは胎盤になる部分の質を表す。一般的には「3AA〜5BB」程度が良好な胚とされる。
来院による薬の処方や注射を行い子宮内膜の厚さを確認、胚盤胞移植可能な状態であることを確認し、いよいよ胚盤胞移植の日を迎えたAさん。採卵時は激痛を感じたAさんでしたが、移植はあっけなく終わりました。
「ものの3分くらいであっけなく移植は終了しました。コロナ禍まっただ中であったこともあり、移植後は『もう歩いていいですよ』と言われすぐに帰されてしまいました。多少の出血があると言われていても、ナプキンに血がつくと気が気ではありませんでした」
10日後に迎えた妊娠判定の結果は、陰性でした。
「これまで、採卵、受精、胚盤胞へと順調に進んでいたので、心のどこかで期待が高まりすぎていたのかもしれません。クリニックを出てからは泣きそうなほど辛い気持ちでした。移植の後に歩いたのがよくなかったのかな、とか、移植の前にお手洗いに行ったのがよくなかったのかな、とか。あれをしたからか、これをしたからか、と色々なことが頭の中を巡っていました」
2回目の胚盤胞移植を行ったのはその1ヶ月後のこと。しかし、この時も着床することができませんでした。
「胚盤胞は、『5BA』『6BA』であったにもかかわらず、着床ができないとは。数値だけが全てではないということがよくわかった2回の胚盤胞移植でした」
★胚盤胞の数値(胚盤胞の成熟度や形態評価であるガードナー分類による)が良くても着床できない*ことがある。
*着床率は、胚の「ガードナー分類(胚盤胞の成熟度や形態評価)」にも左右されるが、年齢の影響も大きいとされている。『ARTデータブック2023』によると、胚移植あたりの妊娠率は30歳で約51%に対し、40歳では約33%と報告されている。
2度の稽留流産の経験からわかった、子宮の状態を確認することの大切さ
Aさんがはじめて着床を確認できたのは、3回目の胚盤胞移植の時でした。パートナーの喜びもひとしお。
「妊娠初期の症状がなかったので、嬉しいというよりも驚きのほうが勝っていました。パートナーも大喜びで、義理の母にも電話で報告。それからは毎週心拍確認のためクリニックに通いました。クリニックの指示に沿って、母子手帳をもらい、分娩する病院の予約も行いました。私たちも、両親たちも大張り切りだったのは言うまでもありません。しかし、この時できた赤ちゃんは妊娠9週で心拍停止、稽留流産になってしまいました。
流産を伝えられた時は、クリニックの先生も看護師さんもとてもつらそうな顔をしていたのを覚えています。私もパートナーも、声にならないくらい号泣しました」
さらに、4回目の胚盤胞移植でも心拍確認後に稽留流産を経験*します。
「最初に流産した時に、最も辛かったのが両親たちを悲しませてしまったことでした。パートナーのお母さんは泣き崩れてしまったと聞いて、本当に悲しい気持ちになって。なので、次に妊娠判定が出た時は、両親たちには報告をしていませんでした。悲しい結果でしたが、これは後になっても言わなくてよかったと思います。また、この時2回目の移植後に勧められていた子宮鏡検査を行うと、子宮内膜炎であることがわかりました。どうしてはじめに子宮の状態を確認しておかなかったのだろう、クリニックで勧められた時に周期を逃すのが惜しくて検査をしなかったのだろうと猛烈に後悔しました。子宮内膜症の治療を行い、満を持して行った6回目の胚盤胞移植で出産まで至ることができました」
*『ARTデータブック2023』によると、流産率は30歳で17%、40歳で36%と報告されている
★不妊治療をはじめる前に、少なくとも移植の前に子宮の状態を確認しておけばよかった。
★妊娠判定が出ても、それを伝えるタイミングは安定期に入ってからにすればよかった。
妊娠するのも、それを継続するのも大変なこと。出産を経てやっとわかったこと
その後出産に至った6回目の胚盤胞の時は、安定期に入ってやっと家族に妊娠を伝えたというAさん。
「この時すでに43歳手前になっていたので、赤ちゃんが生まれてきて顔が見られるまでは全く安心できませんでした。心拍確認のためにクリニックに行くと、待合室では不安でいっぱいでした。『心拍が続いているかな、大丈夫かな』と願う気持ちは、これまで経験した受験の合格発表なんて比べ物にならないほど切実なものでした。
大きくなってきたらきたで、今度は胎動は大丈夫か、元気にしているかと不安が続き、妊娠期間中は爆弾を抱えているような気持ちで過ごしていました。不安な気持ちになった時は色々な情報を鵜呑みにしないよう、『この人のコンテンツを見よう』と決めていた助産師の方のYoutubeを見ていました。
やっと安心できたのは、出産を終えて赤ちゃんの産声を聞いた時。どっと安心して、不安が飛んで行ったと同時に、今度は親としての責任感という別の感情がやってきました。胚盤胞移植から出産までを振り返って思うのは、妊娠するのも難しいし、妊娠を継続するのも大変だということ。簡単にできないよ、と昔の私に教えてあげたいです」
★妊娠期間中は色々な情報を集めすぎない。信頼できる情報を選んで。
★妊娠は、するだけでなくそれを継続するのも大変。
最後に、Aさんに不妊治療全体を振り返って「不妊治療前の私に教えたいこと」を聞きました。
「まず教えたいのは『赤ちゃんができるのは奇跡』だということ。避妊の方法を重点的に教育された私は、妊娠は簡単にできることだと思っていました。けれど、妊娠して、それを継続して、赤ちゃんが生まれてくることは奇跡に近いことだと今ではわかります。若いうちにできることや、体のケアはぜひしておいてほしい。
そして、『自分の赤ちゃんを産むことだけが全てはない』ということも。養子を迎える選択肢もあるし、パートナーと二人の人生もいい。不妊治療だけに一生懸命になりすぎるのを防いだり、不妊治療を終える決断をしやすいように、他の選択肢があることも頭に置いておいてもいいのかもしれません。
パートナーの協力も大切ですね。私の場合は、パートナーがずっと協力的だったので、途中で相手の協力不足に悩んだり、サポートしてもらえなくて悲しい思いをすることがありませんでした。不妊治療をするなら、かならずパートナーのサポートを得られるかを確認しておくこと。不妊治療を乗り越えれば、きっとこれからのさまざまな経験も乗り越えられるはずです。
そして何より、我が子を見ていると『あの時頑張ってよかった』と心から思えること。わがまま放題でわんぱくな子どもですが、毎日私たちを成長させてくれる、愛おしくてかけがえのない存在だと伝えたいです」
取材・文/ 出川 光





